ここでは、まんぷくの立花萬平のモデルとされる安藤百福(ももふく)について紹介しています。
萬平(長谷川博己)のモデルになっているのは安藤百福さんですが、彼はどんな人物だったのでしょうか?
今回は百福さんがどんな人だったのかということと、ドラマと史実との違いについて紹介していきたいと思います。
目次
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まんぷく・萬平のモデル・安藤百福(ももふく)はどんな人?
萬平のモデルとなったのは安藤百福さんです。
百福さんは日本の統治下時代の台湾出身で、旧名は呉百福という名前です。
幼い頃に両親を亡くしており、祖父のもとで育ちました。
おじいさんが呉服店を経営していたことから、商売の面白さを知ることになります。
百福さんは台湾で図書館の司書になりますが、日本で発展の兆しを見せていたメリヤスに注目し、「東洋莫大小」を設立してメリヤスの輸入業を開始します。
22歳の時に日本から取り寄せた高品質のメリヤスを台湾で売るビジネスを手掛けて成功し、23歳の時に来日して大阪市にメリヤス問屋「日東商会」を設立。
実は百福さんは昭和3年(1928年)の18歳の時に台湾人の呉黄梅さんという女性と結婚していて、その間に長男の宏寿(ひろとし)さんが生まれています。
23歳の時に日本に渡っていますが、妻子は台湾に残しています。
そして昭和20年(1945年)に福子(安藤サクラ)のモデルとなっている安藤仁子さんと結婚するのですが、そのとき黄梅さんとの婚姻関係は解消しておらず、重婚状態でした。
戦前の日本も台湾も一夫多妻制は認めていなかったのですが、百福さんは重婚罪で処罰されることはありませんでした。
なぜなら当時の台湾では戸籍上の「妾」が認められており、百福さんは仁子さんとの結婚に伴い黄梅さんを正妻から妾に変更したからです。
さらに百福さんは台湾にいたときに呉金鶯さんという女性とも結婚していたということです(こちらは最初から第二夫人でした)。
彼女との間にも二男一女がおり、当初は第二夫人の金鶯さんと子供たちを大阪に連れてきていました。
しかし仁子さんと結婚前に別れて台湾に帰ったために三重婚にはなりませんでした。
ちなみに第二夫人の金鶯さんとは離婚したようですが、3人もの奥さんがいたとは衝撃的ですね。
実際は台湾人の百福さんを日本人の萬平に変更したのは、このあたりの話を朝のNHKのドラマで放送するに刺激的で難しかったからではないかと思います。
戦後、日本国籍を所有していた百福さんは華僑(中国人)登録することによって戦勝国民(連合国国民)として様々な特権を得ます。
空襲に遭った工場などの保険金として現在で数百億円もの大金を得て日本一のお金持ちになり、食べるためにタダ同然で売り出されていた大阪の一等地を手に入れ、莫大な財産を築きました。
その後百福さんは「製塩業・中華交通技術専門学院・国民栄養科学研究所」という事業を開始するのですが、既にお金には不自由していなかったので慈善事業でした。
ところがGHQが日本の歳入不足から在日台湾人に対する課税を許可したため、百福さんは当局に逮捕されて有罪判決を受け、東京の巣鴨プリズンに収容されます。
のちに百福さんは釈放されますが、人に頼まれて今度は華僑向きの信用組合「大阪華銀」の理事長となり、新たな仕事をスタートさせます。
しかし、貸し出しがルーズ、預金額より借金や貸出額が上回るなどの有様で、大阪華銀は倒産。
百福さんは大阪華銀の理事長としての責任を問われ、全財産を失ってしまいます。
なんとか大阪府池田市の借家を確保した百福さんは、庭に小屋を建ててインスタントラーメンの開発に取りかかるのでした。
奥さんの仁子さんが台所で天ぷらを揚げているのを見たのがヒントとなり、麺を油で揚げて水分を飛ばす「瞬間油熱乾燥法」を発見し、インスタントラーメンの開発に成功したのです。
百福さんが台湾人だったことや話の流れはドラマと多少違うものの、だいたいはドラマと同じではないかと思います。
また百福さんを支える仁子さんは相当苦労されただろうなと思ってしまいました。
ドラマでは塩を作っている段階なので、インスタントラーメン作りに取りかかるようになるのはまだまだ先になるでしょうね。
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ドラマの百福(ももふく)はどんな人物?史実との違いは?
立花萬平は福子の夫です。
幼い頃に両親を亡くし、各地を転々としてきた経歴を持ち、25歳のときに独立起業します。
そのため萬平の出身地がどこなのかはっきりとは分からず、物語が始まったばかりの頃は無理をしておかしな大阪弁を喋っていました。
萬平がイントネーションのおかしい大阪弁を話していたのはドラマが始まってすぐの1週目くらいで、その後は標準語で話しています。
萬平のモットーは人々の役に立つものを作ること。
発明家、技術者としての才能はあるのですが、営業など商売の分野は苦手で、金銭面に無頓着なところもあります。
実直かつ、お人好しな性格である反面、意志が強く謝る必要がないと判断すると一切謝罪しない頑固な一面も持っています。
萬平は福子が大阪東洋ホテルで電話交換手として働いていたときの電話をかけてきたお客さんの1人でした。
福子に「咲(内田有紀)の結婚式に萬平の作った幻灯機を使いたい」と言われ、直接会ったのはその時が初めてでした。
その後も2人は偶然会うことが多くなり、萬平は次第に福子に惹かれていきます。
鈴(松坂慶子)の反対や咲の病気や死などがあって、結婚までたどりつくのは時間がかかりましたが、福子への強い思いと周囲の後押しによって無事結婚しました。
その後、戦争で生活は苦しくなっていきますが、萬平は兵隊にとられることはありませんでした。
なぜなら萬平は福子と結婚する前に軍の統制品であるジェラルミンを横流しした疑いで、憲兵隊に捕まってひどい目に遭い、殴る蹴るなどの暴行を受けていたからです。
身体検査の結果軍に行かずに済んだのですが、萬平は国の役に立てないことを悔やんでいました。
戦争が悪化すると福子と鈴と3人で兵庫の上郡に疎開し、終戦後は家が空襲で焼け落ちてしまい克子の家に居候していました。
物々交換だけでは生活できず、自分を証明することすらできない人たちがあふれているのに気づいた萬平はハンコを作ることを思いつきます。
しばらくはハンコ屋として生計を立てていましたが、忠彦(要潤)が戦争から帰ってくると萬平は「従業員を減らした方が効率がいい」と言って、福子たちとともに出ていくことを決めます。
そして現在は泉大津に移り住み、「たちばな塩業」で塩づくりに励んでいます。
しかしそれを支える福子の苦労は並大抵なものではなく、何度も借金しに女学校時代の友達のハナ(呉城久美)の家に頭を下げに行ったり、塩軍団の15人もの男たちを食べさせるために奮闘しています。
一緒に家事をやっている鈴も度々「もう嫌!」と叫んでいますが、その気持ちも分かります。
結婚に関しては萬平は福子以外の女性は眼中にない感じなので、史実と比べるとかなりマイルドになっていますね。
個人的に萬平はお人好しすぎて人を疑うということを知らず、よく騙されているなという印象を受けます(笑)
視聴者側としては加地谷(片岡愛之助)や世良(桐谷健太)はかなり怪しいのに「そんなことをするはずがない!」とか「僕の友達を悪く言うな!」と言っているあたり、萬平はもっと人を疑うことを覚えたほうがいいのではないかと思います。
世良に関しては鈴のほうが「本当にその額で売れたの?本当に?」と疑っていましたよね。
しかしモデルとなっている百福さんもそういう面はあったようなので、ドラマの萬平の性格はかなり百福さんに寄せて作られているのではないかと思います。
立花萬平役の長谷川博己さんについてはこちら。
長谷川博己の学歴(出身高校・大学)と経歴は?
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まとめ
ドラマ「まんぷく」の萬平のモデルになった安藤百福さんと、ドラマと史実との違いについてご紹介しました。
百福さんのことを調べていて思ったのは、発明家の奥さんというのは大変だなということです。
私たちがお湯を注ぐだけで食べられるインスタントラーメンは百福さんの発明があってこそですが、それを支えてきた仁子さんの存在も忘れてはいけないと思います。
塩づくりがひと段落したらまた別の発明にとりかかるのかもしれませんが、今後もドラマから目が離せませんね。