ここではドラマ「なつぞら」の主人公・奥原なつのモデル・奥山玲子さんについて紹介しています。

2019年4月1日から放送がスタートした新連続テレビ小説「なつぞら」のヒロインである奥原なつのモデルとなっている奥山玲子さん。

今回は、その奥山玲子さんがどんな人物だったのかにスポットを当てて、プロフィールや経歴、ドラマの設定と史実はどう違うのかを見てみたいと思います。

目次


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ドラマ「なつぞら」奥原なつのモデルは奥山玲子さん

「なつぞら」の主人公・奥原なつのモデルとされているのがアニメーターの奥山玲子さんです。

名前:奥山玲子(おくやまれいこ)
生年月日:1936年10月26日
没年月日:2007年5月6日(70歳)
出身地:宮城県仙台市
職業:アニメーター



奥山玲子さんは宮城学院高等学校を卒業した後、東北大学教育学部へ進学し、卒業。

大学卒業後には、外国語大学への入学を目指して上京します。

受験までの期間のアルバイトとして、東映動画(現:東映アニメーション)で働き始め、仕事が面白くなってきたことで、受験を取りやめて、そのまま東映動画へ正式に社員として入社しました。



その後、1958年10月22日公開のアニメ映画「白蛇伝」の動画制作に携わり、1962年7月21日公開のアニメ映画「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」では原画担当に昇格。

1963年には同僚だったアニメーターの小田部洋一さんと結婚します。

さらにその後も、1966年から1968年にかけて放送された魔女っ子シリーズの第1作目「魔法使いサリー」、1969年から1970年にかけて放送された魔女っ子シリーズの第2作目「ひみつのアッコちゃん」などの作画監督を務めました。



1976年には東映動画を退職し、日本アニメーションへ入社。

1976年1月4日から同年12月26日までフジテレビの「世界名作劇場」枠にて放送された「母をたずねて三千里」の作画監督補佐を務めました。



フリーに転向した後、夫の小田部洋一さんとの共同名義「あんていろーぷ」で、1979年3月17日に「東映まんがまつり」にて公開された「龍の子太郎」を手がけました。

フリー時代には、なんと1988年4月16日公開の高畑勲監督の名作「火垂るの墓」の原画にも携わっています。

1990年代以降は、銅版画作家として活躍し、2007年5月6日に亡くなりました。


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ドラマと史実の違いは?

まず、今現在分かっている「なつぞら」の主人公・奥原なつと、モデルになっている奥山玲子さんとの違いは、なつは東京出身で、奥山玲子さんは宮城県の仙台市出身ということ。

そして、今現在放送されている幼少期編では、なつは北海道の広大な大地で、元気いっぱいに過ごしていますが、実際には奥山玲子さんは幼い頃は病弱で、「シェークスピア全集」などを読む文学少女だったようです。

奥山玲子さんは小学校の時代には病弱のため、学校を休みがちだったようですが、成績はすごく優秀だったので、卒業も出来たみたいです。

奥山玲子さんは小学校を卒業後、「ミッションスクール(キリスト教系学校の総称)」に進学しました。

敗戦の影響を受け、教科書が黒塗りされたことにより、価値観が変わってしまい、大人を信用出来ない状態に陥って、反抗的な態度で教師たちを困らせたようです。

ドラマではストーリーがどう進むか分かりませんが、なつは聞き分けのいい大人しい女の子なので、「反抗期」らしい描写は無さそうな気がします。


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ドラマ「なつぞら」モデルまとめ

ドラマ「なつぞら」の主人公・奥原なつのモデル・奥山玲子さんについて紹介しました。

2019年4月1日からスタートした連続テレビ小説「なつぞら」の主人公・奥原なつのモデルとなった奥山玲子さんについて史実を見てみました。

ドラマを観ていると、史実でも活発で色々なことに興味を持つタイプの女の子だったのかなと想像していましたが、モデルとなった奥山玲子さんは幼い時に病弱だったことに驚きました。

どういった部分が史実と違うのか、この先の「なつぞら」のストーリー展開にも注目ですね。


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